2007年1月27日 (土)

雪の思い出

お正月休みになると、以前は車で故郷に帰っていました。
雪の時に帰り、高速道路でチェーン装着場に誘導され、チェーンを付けさせられると言うことがありました。
今はタイヤにも色々あるのでこんな状況は無いかもしれませんね。
12月に転勤があり、大阪に向う山越えで猛吹雪になり、この時もチェーンを巻きました。
こう考えると、数えるほどしかチェーンをつけていません。

別のお正月に車で帰り、滞在中に大雪となり、車が雪にすっぽり埋まってしまい、やむなく列車で帰りました。(車が雪の重みでつぶれないか心配で、車の上の雪下ろしをしてから帰りました。)
帰るときも列車が区間毎に折返し運転で、時間待ちもあり散々でした。
こういう時は各駅停車の列車しかありません。
朝早く出たのに家に帰り着いたのは夜でした。
春に雪が解けるのを待って車を取りに行きましたが、それ以来車で帰ることは無くなりました。

   雪深きこと思ひ出が知つてをり   もみぢ
   故郷に雪深深と積もりをり       〃

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2006年4月17日 (月)

桜の頃

ふるさとの桜は4月の中ごろが見頃です。
あれは17日のことでした。
若い頃勤め先の横に公園があり、昼休みは毎日のようにそこに出かけました。
ある日も散歩がてら花を見ていたところ、観光客に道を尋ねられました。
その話の中で、「自分は来月外国に行くことになっていること。そのため今は日本全国観光をして歩いている。」と言うのです。
又、「雪国は綺麗な人が多いと聞いていたのに、ここにはいないですね。」
と、のたまうのです。
(そんなこと、面と向って、私に言わなくても・・・・)
その上「これから、市内を回りたいので、案内をしてもらえないか。」と言うのです。
私を学生と思ったのかも知れません。(それも当りですが)
勿論答えは「ノー」ですよね。
「仕事がありますから・・・」と、丁寧にお断りいたしました。
例え時間があっても、知らない男性にはついて行けませんよね。
顔は覚えていないのに、会話はしっかり覚えています。
覚えの悪い私にしては珍しいことです。

    思い出の桜公園今も美し   もみぢ

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2006年4月 3日 (月)

車2

随分と前の話。
いつものように駐車場に行ったらいつもと景色が違います。
おかしい?おかしい?とは思いつつまだピンときていません。
あっ!  車が無い!
何で、何で?
無い理由が無い!
??盗まれた!??
取り敢えず警察に通報です。
保険会社にも連絡。
何時無いのに気付いたか?
何が入っていたのか?
自転車が無くなり届けたことはありますが、自動車は初めてのこと。
保険会社からも後日調査員が来て、根掘り葉掘りです。
まず鍵の確認からします。
鍵は掛けたのか?
今鍵は全部揃っているか?(誰かに貸したりしていないか。)
管理人さん等にも尋ねます。
本当に私たちがその車に乗っていたかどうか?(狂言を疑うようです。)
行きつけのガソリンスタンドにも行かれます。(実際車があったかどうか。)
幸いなことに領収書が一枚ありました。
駐車場を初め何枚か写真をパチリ、パチリ。
車がなくなったときに住民に注意を促す張り紙が張り出されたのですが、それも見たいと言う。
納得いくまで調べるようです。
でも何時出てくるか分からないので、保険金は直ぐに支払われません。

何故狙われたのか?
理由はわかっています。
多分カーナビが欲しかったのでしょう。
実を申せばこの車はさる会社の社長が乗っていたものを、安く譲っていただいたもので、クラウンのフル装備にカーナビが付いていたものでした。
クッションが抜群によくて、後にも先にも、この車以上の車には乗っていません。
今でこそカーナビは多くの車が装備しておりますが、この当時はカーナビは高くて滅多についておりませんでした。
その上今より性能も悪く、少し走るたびに自分の位置を修正せねばならないほど、不確かでした。
ただ東西南北は良く分かりましたので、方向をまちがえることはありませんでした。
何ヶ月か車の無い生活を強いられましたが、遂に保険が下りて車を買うことになりましたが、これ以後、懲りたわけではないのですが、決して高級車は買いません。
もうその頃では車は九州あたりから船で外国に売り飛ばされたものと思っておりました。
そんなある日車が放置されているので取りに来るようにと、南港の警察から連絡がありました。
取る物も取り敢えず所轄署に出頭し、教えてもらった場所で車と対面です。
人通りも滅多に無いような、倉庫の点在するような場所で、見るも無残な状態でした。
ナンバーもタイヤも椅子もありませんでした。
残骸と言う言葉がピッタリと来るようなそんな感じでした。
「この車を撤去するように」と言う警察の張り紙さえも古びて見えました。
車体番号を頼りに照会して私たちのところに辿り着いたそうで、私たちにこの車を始末するように言うのです。
タイヤもハンドルも無く運転も出来ません。
それはとも角、この車は保険が下りた時点で、保険会社の所有になっていたので、保険会社に概略を伝えて撤去するようお願いしたのでした。
せっかく見つかったのに暗澹たる気分で帰って来たのでした。
車の盗難は結構多いそうで、その当時はベンツがターゲットになることが多いと言う話は聞かされました。
でも許されるならば、クラウンクラスの車に又乗りたいですね。

   愛車との切なき別れ春深む   もみぢ

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2006年4月 1日 (土)

この会社に勤めるようになったのは、車に興味があったからです。
車の運転は以前からしたかったのですが、なかなかチャンスが無いままに時を過ごしていました。
やっと、免許を取得し晴れて就職です。
この会社はダイハツのディーラーとして、その車を販売していました。
後々、トヨタにも就職するのですが、車好きが根底にあったことは間違いありません。
店の奥には修理工場があり、三人の修理工がいました。
基本は事務ですが、何でもやります。
お客様の接待から始まり、新車や修理車の引き取り納車も、駆りだされます。
修理車や下取り車の掃除も時々手伝っておりましたが、とっても汚れたものもありましたし、体毛が沢山落ちているのにも閉口致しました。
モデルのように素敵な方だったのでモテたのでしょう。
新車の納車が一番気持ちよかったですね。
付属の道具を一式揃え、椅子にレースのカバーを着けると、更に見違えるようになります。
ここで一番恐かったことはブレーキの壊れた車を運転した時でした。
前の車にロープで牽引してもらうのですが、これだけは二度としたくない気分です。
色々な車に触れ、車も買い満足満足の職場でありました。
車の種類や特徴も随分と覚えておりましたのに、今はさっぱり分かりません。

   ドライブの窓は全開風光る   もみぢ

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2006年3月12日 (日)

聴力

この会社には事務員として入社するつもりでした。
この大きな会社の支店が私たちの街にあり、通勤にも便利だったから応募したのです。
ところが採用はされたのですが、思うようには任せませんでした。
別の都市の支店で電話交換手がおらず、困っていたというのでした。
電話交換手は免許がいる上に、やったこともありません。
当然免許も持っておらず尻込み致しました。
ところが切羽詰まっていたのでしょう。
たっての頼みで引き受けざるを得なかったのです。
このため電車を乗り継いで行くしかない別の支店への勤務が決まったのでした。
電話交換は二交替制で、もう一人の方が免許を持っているので、問題ないということでした。
確かに行って見て思いましたが、一人では大変です。
交換を通さず全部の電話が鳴り、誰でも出れるようには出来るのですが、やはり交換手がいるといないのとでは差があります。
受けるだけではなく社内からの電話を掛けるのも重要な仕事でした。
一番重要なことは社内の方の声を覚えることでした。
聴力は悪くはありませんが、これといって特別な能力があるわけではない私にとって、この作業は大変負担のかかる部分でした。
名前も言わずに「○○へ電話して。」と言う方が何人もおられます。
名前を覚えていないと怒られた事もありました。
重役クラスの方が何人かおられましたが、さすがにこのようなことはありません。
このことさえ除けば大変快適な職場でした。
交換室は隔離されておりましたし、電話のかからない時もありました。
歳の似通った方と二人で気ままにやらせて頂きました。
女性は私たち二人とお掃除のおばちゃんの三人で、この母親のような方にも随分と可愛がって頂きました。
このおばちゃんは、背筋が何時もピンと伸びて毅然としていましたし、お顔に品がありましたので多分育ちの良い方であろうことは想像できました。
これがきっかけだった訳ではないのですが、今は聴力が人よりいい気がしています。
ただ、よく聞こえすぎて、雑音まで拾ってしまい、返って聞こえづらい時があるので要注意です。

    あたたかし数々の声聞き分けて   もみぢ

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2006年3月 7日 (火)

錦通り

京都の会社に勤めたのは、会社案内の「慰安旅行は海外」という項目を職安で見つけたからでした。海外には一度も行ったことがなく、すごく憬れていました。(ミーハーに近いです。)
何とか面接はクリアーで無事に就職することが出来ました。
いくつかある支店の一つで、従業員数は一桁で仲良くやっていたと思います。
お昼時間が間近になると女子が交代で買出しに出かけます。
京都の台所「錦市場」が歩いて十分くらいのところにあって、そこで出来合いのおかずを買って来るのです。
やはり栄養の事を考えて買い、分けるので色々な種類のものを食べることが出来ます。
メインは殆ど焼魚だったと思います。
市場というものは活気があって、気持ちのいいところです。
時々は値段の交渉を交えて、通りを端から端まで歩きます。
今では滅多に行くことはありません。

    春の膳錦市場で買い求む   もみぢ

ついでに海外の話

この会社の慰安旅行は海外だと言うことは先に述べましたが、私が入社した年の前年はハワイに行ったと聞きました。
さてこの年はというと・・・・結果は・・・「北海道」(従業員のアンケートにより)
北海道も「海の外」ということだそうで、アイヌの衣裳を着て記念写真に納まるしかない、もみぢでした。
以来ハワイとは縁の無い、長~い生活を送ることとなります。
ハワイへの憧憬はこの頃から始ったのかもしれません。

    ハワイまでひとっ飛びなる春の夢   もみぢ

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